2013年09月28日

木村藤子が遠野なぎこを霊視鑑定!キセキ相談 パート1

2013年9月27日放送された『木村藤子のキセキ相談!美女たちのターニングポイントSP III 』の紹介です。

ここでは遠野なぎこの鑑定の様子です。



女優、遠野なぎこ(33)
1999年、遠野なぎこはNHK連続小説「すずらん」のヒロインに抜擢され、清純派として一躍人気女優に。
順風満帆な人生だと思われた。
だが彼女は幼いころから暗い闇をさまよっていた。
今年の3月に半生を綴った自伝「一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せ なかった男たちへ」を発表。
一見幸せそうな母と娘。その裏で一体何が。

『言葉と体の暴力ですね。』

遠野によれば虐待の結果、摂食障害や自傷行為、醜形恐怖など心の病を患っているという。

『兄弟たちは母と再々婚の旦那さんのところの籍に全員入って暮らしているんですけど、なんで私だけ受け入れてくれなかったのか。
殴られたのも私だけなんですよ。ずっと虐待されてたのも。彼らは可愛がられていたので。
今でも孫たちが生まれて仲良く暮らしているので、なんで私だけ憎まれたのかが今でもわからないです。
今までいろいろあったので、私は木村さんが最後の砦だと思っています。』


遠野なぎこ「よろしくお願いします。」
木村藤子「遠野なぎこさん、えっとあなたのお聞きしたいことは?
お母さん?お母さんというのはこの方ね。」
遠野なぎこ「はい。」

木村藤子「病気はどなたの病気?」
遠野なぎこ「私です。」

木村藤子「どこが悪いですか?」
遠野なぎこ「摂食障害ですとかメンタルの病気をいくつかもっています。」
木村藤子「わかりました。お母さんの関係からいきましょう。
これはどう伺えば?何を伺いしたいのか。」

遠野なぎこ「昔からずっと確執を抱えてはいて、卒業したつもりでいるんですけど、このままもう…なんていえばいいのか。
極端に言えばいつか母が亡くなった時にお葬式に行った方がいいのか?行かなくていいのか?」

木村藤子「あなたね、そんな冷たい方じゃないので。真面目で一途で超頑固な部分があります。」
遠野なぎこ「はい。」

木村藤子「生きているときは勝手なことも言えますけれども、お母さんが実際この世をたったの想像してみて?『もういいよいいよ』って(母親が)『死んだっていいよ』。
じゃあ本当に現実は思えるか?難しいことです。現実を想像して考えることは。
それ(母親の葬式に出ない)を結論として考えた場合、今のあなたの心。お葬式に行かなくてもとかそういう寂しいこと、あなたが満足できると思っていない、性格的に。」

母の葬式に出ないような人ではない。
遠野はその言葉に大きくうなずいた。
さらに母親の性格について語りだした。

木村藤子「あなたは今、ご自分で精神バランスを崩したといっていますけれども、お母さん自体も精神バランスを崩している姿がみえます。」
遠野なぎこ「はい。」

木村藤子「このお母さんはね、思ったことをストレートにいうタイプなんですよ。
ヒステリック状態でイライラすると(あなたを)醜いと思わなくても言ってみたり、相手の困ることをグサッといいたい部分がある。
例えば、自分の思い通りのヘアスタイルでないと『それなんなの!』と怒ってみたり、『可愛くない頭をしてる』とか。そういうことで自分の感情をセーブしてきた。
もうひとつ、お母さん、親切の押し売りをするタイプ。
余計なことまで相手に、『こうすればいいよ』『ああすればいいよ』というタイプ。
これ、悪いと思ってないの。
そういうグサッと欠点を言う、言葉の使い方が(相手を傷つけるように)えぐってくる。
本当はおかあさんとっても温かい正直なずるくない方。
あなたもそうですけれども、もしかしたらお母さんとあなたは同じようなもの(気質)を持っている。
だけれどもどっちが頑固といったらお母さんのほうが氷河の氷。固い氷を溶かすよりも難しいかもしれない。」

ではなぜ母親は精神バランスを崩したのか。木村に見えた母親の秘密とは。

パート2に続きます。


posted by ちこ at 20:11| Comment(0) | 遠野なぎこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月26日

木村藤子のキセキ相談!秋吉久美子を霊視鑑定 

2013年9月13日放送された『人生の正解TV 〜これがテッパン!〜 木村藤子のキセキ相談』の紹介です。

ここでは秋吉久美子の鑑定の様子です。




秋吉久美子が銀幕に初登場したのが高校3年の夏。

ラジオで告知した映画「旅の重さ」のオーディションに応募したのがデビューのきっかけだった。

以来数々の映画やドラマに出演。ブルーリボン賞、日本アカデミー賞など映画賞を総なめにする大女優になった。

一方プライベートでは人気絶頂の24歳の時にできちゃった結婚(青い三角定規のメンバーで作曲家の岩久茂と)。
秋吉は女優と母親を両立する道を選んだ。

そして50歳の時には26歳年下の日系アメリカ人グレンさんと再婚し、話題に。

世間からどういわれようと媚びることなく生きてきた秋吉。

女優として第一線を走り続けてきた秋吉久美子。

今、ようやくやりたいことが見つかった。
だが、現在59歳。
限られた人生の中でやり遂げることができるのか不安なのだという。


そこで木村藤子の元を訪れ自分の未来について相談することに。

木村「お聞きしたいことは?」

秋吉「ギリシャ語の古典を学びたいんです。間に合うのかな?と。
仕事もしながらいろいろなことをしながら…。」

木村「うん、無理です。」
秋吉「無理ですか。」

木村「はい。かじったとしてもあなたが満足にできるようにまでは無理です。
あなたね忙しすぎてやれなかったことを、成し遂げたいという願望のほうが強いと思う。あなたはすべて納得できるまで頑張りたい方なんですよ。でも、中々そこまでは難しい。ほどほどやって生きていけばそれでよいと思います。」

かつてできなかったことを今になってやり遂げたいという感情が先走っている。
その原因は彼女の性格にあると木村は言う。


木村「あなたはこの芸能界でご自身を変えてしまったと思います。」
秋吉「本当です。」

木村「もともとあなたはそういう気質を持っていないからよく芸能界で頑張ってこれましたね、って私驚いています。」

秋吉「わたし、良妻賢母なんですよ。」

木村「そうです。その通り。あなたは少年少女のように純粋で真面目なんですよ。
ずるさがなくて。
ただ、頑固すぎる。決めると引かない部分も結構あると思います。」

秋吉「頑固さのおかげで大惨事です。」

木村「で、気が付いたときに本当は正直で何も癖のない人なのに、あなたは頑固で、ひんしゅくを買って損をすることがある。
たとえばご主人と口論になっても、あなたは我の強さがなかなか合わなくなることがある。 正直すぎて。
つっかかって喧嘩してはだめ。つっかからない。」

秋吉「でも相手も突っかかるんですよ。
クワガタとクワガタが暮らしているみたい。」

木村「なるほど。だから今度はご自分が引いた方がいい。あなたが年上ということで、もっと寛大に見てあげて。」

秋吉「歯を磨かなくてもですか?」

木村「ははは。それは『歯を磨け』って怒って言うよりも、違う方向性で導いて。
つっかからない。これが大事。」

純粋さゆえ、仕事や夫婦関係がこじれることがある。気を付けたほうがいいと木村は言う。そして秋吉は力を入れている東北の活動について相談を始めた。
幼少期を福島で過ごした彼女は地震で被災した故郷の復興支援をしているのだが…。

秋吉「なんか思うように助けられないんですよね。
関係者たちの考えの違いの中でやらなきゃいけないから。
すごくそれでずっと悩んでいて、体調も悪くなるくらい、震災から3年目ですけど悩んでいて。なんか疲れちゃって。」

木村「あなたの繊細な正直な心でぶつかってもすべてが受け入れてもらえるという保証はないと思います。
現実を見たら人間同士の我が出てくる。感情論が出てくる。
あなたが正直なままで、自分を押し通していくと批判も出ると思います。
だったら違う形で、もっと自分を大切にしながら。
人を助けれる、助けるというのは、ボランティアだけではないから。
これからそれも含めて一生懸命頑張ってみてください。
あなたは思っていたより、もっと純粋でした。

頑固で押していくことだけはちょっと控えて。」


木村藤子の気付いてほしいポイント
純粋という本来の魅力を生かし、頑固さを控えることが大切



9月、秋吉久美子は故郷である福島県いわき市三和町上三坂を訪れていた。

秋吉は高校時代の同級生と地元との交流を深めながらいわきを盛り上げる「おじょんこの会」という活動を行っている。
おじょんこというのはこの地方特有の女性用の袖なしの半てんのこと。

秋吉「おじょんこの会が一番最初にやろうと思っているのはおじょんこを作ること。
作りながらいろいろ上三坂(この地方)のことも教えて頂くというのが一番最初にやりたいなと思っていることなんですよ。」


ふるさとの素晴らしさを知ってもらいたい。
自分ができることからそんな思いが秋吉を突き動かしていたのでした。

posted by ちこ at 12:26| Comment(0) | 秋吉久美子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月25日

木村藤子のキセキ相談!逸見政孝(太郎、愛)を霊視鑑定 後編

2013年9月13日放送された『人生の正解TV 〜これがテッパン!〜 木村藤子のキセキ相談』の紹介です。

死後20年、逸見政孝さんが「家族に最期に伝えたかったこと」の鑑定の様子です。

後編です。

蛍原「逸見さん、この20年間ずっと悩んでいることがあるということですが。」

太郎「記者会見を開いた後に、その映像を留学先の寮に送ってきたんですけど、それはいったい何の意味が?その真意を知りたい。」

遺書を残さなかった逸見政孝。

だが、アメリカに留学していた息子の太郎のもとに手紙と1本のビデオテープを送っていた。
逸見政孝はなぜ息子にテープを送ったのか?
その謎を紐解くため、太郎と愛が木村藤子の元を訪れます。


太郎「記者会見のテープと手紙をエアメールで送ってきたんです。」

手紙には経験を終えた父の思いが綴られていた。

『とてつもなくデッカイことをしたような気がする
パパにとって太郎の激励はボストンで将来の目標に向かって一生懸命勉強をすることである
十二月に帰ってくるときには元気な顔を見せられるように頑張るそ!』


逸見政孝が息子太郎にあてたメッセージを木村藤子がキセキ鑑定!


木村「おとうさん似ですか?」
太郎「そうですね。」

木村「性格もね。」
太郎「性格もそうですか?」

木村「よく似てると思う。お父さんもちょっと不器用な部分があった方だと私は思います。
逸見さんはその時(病状が)あまりいい状態じゃないと思っていたはず。今見える表情がそうですね。」

太郎「手紙は結構気さくに書いているようには思えるんですけど。」
木村「でしょう。心配かけないように。
でも、逸見さんの心の底は、記者会見のあとも表に出さないようにしてたけどいつもとは違っていたはず。」
愛「そうですね。」

木村「逸見さんは自分の命が大変だと記者会見の時点で分かっていた。
自分のパフォーマンスじゃないですが、職務上の責任もあるんですが、それだけじゃない。
あなた方を思いやる未来のこと。もしこれでダメだったらあなた方を守ってくれる人が欲しい。
それともう1つ。父親としての威厳というか立場。ですからそこをよくご理解いただいて。
テープを送ったのはやっぱりあなたが可愛かったんですよ。
あなたのことをすごく案じている。あなたはその時、日本に帰るという決定はしていなかったはず。」

太郎「はい。」
木村「最後にあなたが可愛くて連絡をしたと思います。
おそらく手術の時に麻酔が覚めたらそばにいてほしかった。」

太郎「うなづく。」

記者会見のテープを送った意味。

それはいつもは強気な逸見が、息子にそばにいてほしいという唯一本音を吐いたメッセージだったという。

自らの病状を知っても気丈にふるまっていた逸見政孝。彼は自分の命の期限を悟っていたのか?

太郎「自分自身が死を意識したということですね。」
木村「してます。」

木村「お父さんはとっくに亡くなる事をわかっていた。自分で書物のようなものを読んでいます。
自分の体の限度・度合い・病気。入院された病院の先生にも確認しています。
『本当のことを知りたい』と。
それと書物を読んだのとで一致させてすごく落ち込んでしまった時期がみえます。」

太郎「3度手術をしているんですけど、3回目の手術のあとですか?」

木村「最初の手術の時は大丈夫、手術すればクリアできると思っていた。
3度目の手術の時お父さんは多分ダメだと思って、少しでも生きていたい、生きてやらなければいけない理由があった。
意識がなくなる前の意識がしっかりしているとき、あなた方のことだけ、そればっかり頭にありました。」

太郎「12月24日亡くなる前日なんですけど、私の誕生日会という形で病室でお祝いをしてくれたんですね。父親は昏睡状態で危なかったが、なんとなく表情には『太郎、申し訳なかった。すまん。』というような、声には出ていないんですけど。」

太郎の誕生日を祝う病室で危篤状態の逸見の思いを木村が鑑定。

木村「愛情です。胸いっぱいになりますね。
力尽きたと思ってください。本人が自覚しましたから。
あなた方がその日、家に帰っているはずなんですよ。
お誕生日のあと、太郎さんが病室から出るとき、お父さんは背中を見送りましたから。
意識はまだありましたから、精いっぱい笑顔を作っていましたから。
最期と思っていましたから。
で、立ち止まってあなたは振り向こうとしても振り向かなかったんですよ。
その動きを逸見さんは見ていましたから。
意識をしっかり保とうと思って、太郎さんを見送った。
息子を案ずる親の心。
あなたの頑固さも知っていた。あなたの正直なところも知っていた。
小さい頃手をつないで、お父さんは本当に自慢だったと思う。
お父さんは家族を大切にしたい人。あなたも過程を大切にしたい人。
愛さんは自由でいたい人。愛さんはこういう気性・気質だから『愛さんを守ってほしい』と。
で、最後自分はいい人生、いい状態の中で生きてきた。
いつでもあなた方を守っているから。」


木村藤子さんの鑑定を終えて
太郎「20年前の病室自分が戻ったような感じでしたね。確かにそうだった。
振り向こうとしていた自分もいた。どうしていいかわからなくて振り向けなかった自分もいました。」

愛「しっかりとした意識があったことを改めて伺って、すごい父親からの愛情を感じました。」


逸見政孝が残したもの。それは家族への深い愛情父親としての生き様だった。

posted by ちこ at 10:00| Comment(0) | 逸見政孝(太郎、愛) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする