2013年09月25日

木村藤子のキセキ相談!逸見政孝(太郎、愛)を霊視鑑定 後編

2013年9月13日放送された『人生の正解TV 〜これがテッパン!〜 木村藤子のキセキ相談』の紹介です。

死後20年、逸見政孝さんが「家族に最期に伝えたかったこと」の鑑定の様子です。

後編です。

蛍原「逸見さん、この20年間ずっと悩んでいることがあるということですが。」

太郎「記者会見を開いた後に、その映像を留学先の寮に送ってきたんですけど、それはいったい何の意味が?その真意を知りたい。」

遺書を残さなかった逸見政孝。

だが、アメリカに留学していた息子の太郎のもとに手紙と1本のビデオテープを送っていた。
逸見政孝はなぜ息子にテープを送ったのか?
その謎を紐解くため、太郎と愛が木村藤子の元を訪れます。


太郎「記者会見のテープと手紙をエアメールで送ってきたんです。」

手紙には経験を終えた父の思いが綴られていた。

『とてつもなくデッカイことをしたような気がする
パパにとって太郎の激励はボストンで将来の目標に向かって一生懸命勉強をすることである
十二月に帰ってくるときには元気な顔を見せられるように頑張るそ!』


逸見政孝が息子太郎にあてたメッセージを木村藤子がキセキ鑑定!


木村「おとうさん似ですか?」
太郎「そうですね。」

木村「性格もね。」
太郎「性格もそうですか?」

木村「よく似てると思う。お父さんもちょっと不器用な部分があった方だと私は思います。
逸見さんはその時(病状が)あまりいい状態じゃないと思っていたはず。今見える表情がそうですね。」

太郎「手紙は結構気さくに書いているようには思えるんですけど。」
木村「でしょう。心配かけないように。
でも、逸見さんの心の底は、記者会見のあとも表に出さないようにしてたけどいつもとは違っていたはず。」
愛「そうですね。」

木村「逸見さんは自分の命が大変だと記者会見の時点で分かっていた。
自分のパフォーマンスじゃないですが、職務上の責任もあるんですが、それだけじゃない。
あなた方を思いやる未来のこと。もしこれでダメだったらあなた方を守ってくれる人が欲しい。
それともう1つ。父親としての威厳というか立場。ですからそこをよくご理解いただいて。
テープを送ったのはやっぱりあなたが可愛かったんですよ。
あなたのことをすごく案じている。あなたはその時、日本に帰るという決定はしていなかったはず。」

太郎「はい。」
木村「最後にあなたが可愛くて連絡をしたと思います。
おそらく手術の時に麻酔が覚めたらそばにいてほしかった。」

太郎「うなづく。」

記者会見のテープを送った意味。

それはいつもは強気な逸見が、息子にそばにいてほしいという唯一本音を吐いたメッセージだったという。

自らの病状を知っても気丈にふるまっていた逸見政孝。彼は自分の命の期限を悟っていたのか?

太郎「自分自身が死を意識したということですね。」
木村「してます。」

木村「お父さんはとっくに亡くなる事をわかっていた。自分で書物のようなものを読んでいます。
自分の体の限度・度合い・病気。入院された病院の先生にも確認しています。
『本当のことを知りたい』と。
それと書物を読んだのとで一致させてすごく落ち込んでしまった時期がみえます。」

太郎「3度手術をしているんですけど、3回目の手術のあとですか?」

木村「最初の手術の時は大丈夫、手術すればクリアできると思っていた。
3度目の手術の時お父さんは多分ダメだと思って、少しでも生きていたい、生きてやらなければいけない理由があった。
意識がなくなる前の意識がしっかりしているとき、あなた方のことだけ、そればっかり頭にありました。」

太郎「12月24日亡くなる前日なんですけど、私の誕生日会という形で病室でお祝いをしてくれたんですね。父親は昏睡状態で危なかったが、なんとなく表情には『太郎、申し訳なかった。すまん。』というような、声には出ていないんですけど。」

太郎の誕生日を祝う病室で危篤状態の逸見の思いを木村が鑑定。

木村「愛情です。胸いっぱいになりますね。
力尽きたと思ってください。本人が自覚しましたから。
あなた方がその日、家に帰っているはずなんですよ。
お誕生日のあと、太郎さんが病室から出るとき、お父さんは背中を見送りましたから。
意識はまだありましたから、精いっぱい笑顔を作っていましたから。
最期と思っていましたから。
で、立ち止まってあなたは振り向こうとしても振り向かなかったんですよ。
その動きを逸見さんは見ていましたから。
意識をしっかり保とうと思って、太郎さんを見送った。
息子を案ずる親の心。
あなたの頑固さも知っていた。あなたの正直なところも知っていた。
小さい頃手をつないで、お父さんは本当に自慢だったと思う。
お父さんは家族を大切にしたい人。あなたも過程を大切にしたい人。
愛さんは自由でいたい人。愛さんはこういう気性・気質だから『愛さんを守ってほしい』と。
で、最後自分はいい人生、いい状態の中で生きてきた。
いつでもあなた方を守っているから。」


木村藤子さんの鑑定を終えて
太郎「20年前の病室自分が戻ったような感じでしたね。確かにそうだった。
振り向こうとしていた自分もいた。どうしていいかわからなくて振り向けなかった自分もいました。」

愛「しっかりとした意識があったことを改めて伺って、すごい父親からの愛情を感じました。」


逸見政孝が残したもの。それは家族への深い愛情父親としての生き様だった。



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2013年09月24日

木村藤子のキセキ相談!逸見政孝(太郎、愛)を霊視鑑定 前編

2013年9月13日放送された『人生の正解TV 〜これがテッパン!〜 木村藤子のキセキ相談』の紹介です。

死後20年、逸見政孝さんが「家族に最期に伝えたかったこと」の鑑定の様子です。

前編です。



【逸見政孝さん】

1968年、フジテレビに入社。フジテレビの看板アナウンサーとして活躍。
20年の局アナ生活を経てフリーに転身。
たちまち民法全局で司会を抱える日本一忙しいアナウンサーに。
しかし、一歩家に帰れば厳しい父だったという。

1993年1月、毎年の健康診断で初期の胃癌だと突然のがん宣告。

しかし担当医は「初期の癌だから、手術をすれば完治します。」と言っていた。
仕事への影響を考え、「十二指腸潰瘍」とうその病名を世間に公表。
すぐさま手術。
しかし胃は3/4切除。
思ったより進んでいて「初期のがんではない」と妻の晴恵さんに伝えられます。

がん細胞は取りきったと信じ、手術から1ヶ月後には仕事へ復帰。
しかしその年の8月、へそ付近のしこりを取る2度目の手術。
しかし、それはただのしこりではなくがんの転移。

9月にがんの専門医がいる病院(東京女子医科大学病院)へ妻の強い勧めで転院。
そこで、「何故ここまで放っておいたのですか!?」と言われ、「あなたの腹部のしこりはガンです」と告げられ、逸見は初めて重大さの気付く。
そんな重大な告知を受けながらも逸見は仕事に出かけていた。
その時の収録では、普段と同じように笑った。

逸見は死に直面し、がん告白記者会見をする決意をする。

旧知の福留功男が記者会見直前のエピソードを語ります。

福留さんによると記者会見の直前、逸見さんから電話がかかってきたとのこと。

逸見「お願いがあります。「波瀾万丈」という僕が持っていry番組を、福留さんやっていただけますか?」
福留「それってどういうこと?」
逸見「実はガンなんです」
福留「帰ってくると約束するなら受ける」

逸見さんは仕事の引継ぎを自ら行っていたそうです。

1993年9月6日、記者会見。

「私が今侵されている病気の名前はガンです。このまま放置すれば年単位ではなくて月単位でがん細胞は蝕んでいくであろう、と。
私はこの言葉をこのまま放置すれば1年も持たないというふうに受け止めました。
私は1年後に亡くなるのは本意ではありません。
僕は人間ができていないですから恐ろしいです。
3か月休養して戦ってみようと決めました。こうやって皆さんに公表したことによってこれからはガンと戦うんだということを言い聞かせる意味でも公表いたしました。
もう1回いい形で『生還しました。』と言えればいいなと思っています。」

記者会見から10日後、3回目の手術。
胃の全部と周囲臓器を摘出する13時間にも及ぶ手術は無事成功。
家族のもとに帰ってきた。

そのおよそ1か月後。

留学先のアメリカから息子の太郎が初めて帰国する日。

逸見は太郎が帰国する日に向けて懸命にリハビリ。

「息子に心配をかけたくない。元気な姿を見せたい。」

その一心で、歩いて見せたのでした。

1993年10月17日は逸見夫婦の結婚記念日。

娘の愛は自動車教習所の卒業証書を見せ「パパが退院したドライブに連れて行ってあげる」と約束。

そして外泊の許可が出た。

久しぶりの我が家に思いをはせます。

しかし、一時帰宅当日、肝機能の数値が異常を示し、外泊は中止。

この日を境に容体は悪化していく。
体力も日に日に衰えていった。
最後の望みをかけ、抗がん剤治療が始まった。

医者「つらいでしょうが、がんばってください。」
逸見「あと1年だけ生かしてもらえませんか。お願いです。」

家族のためにせめてあと1年生きたい。
その思いとは裏腹に体は蝕まれていった。

逸見「愛。黒沢監督の生きるという映画見たことあるか?」
愛「ううん。知らない。」
逸見「ガンと余命宣告された役人の主人公が、人の役に立つことを死が訪れる前にやりたい、と決心するんだ。」

余命いくばくもない主人公をいつしか自分と重ね合わせていた。

逸見「まさか自分がこうなるとは思いもしなかった。これがすべて夢だったらなあ。」

鎮静剤を打ちはじめた逸見は少しずつ意識が混濁し始めた。

12月22日、意識がほとんどなくなった。

そんな中、最後の力を振り絞って逸見は一言つぶやいた。

「太郎。すまんな。頼むな。」

父の最期の言葉だった。

そして、クリスマスイブ、家族が病室に呼ばれた。

意識不明の危篤状態の父がいた。

愛「パパ。お兄ちゃんが21歳になったよ。」

21年前のこの日、逸見が初めて父になった記念すべき日。

その翌日、生還を約束したあの会見からわずか110日。
48歳で逸見は帰らぬ人となった。

誰より愛した子どもたちの心には強い父が今も生き続けている。


後編に続きます。

posted by ちこ at 10:01| Comment(0) | 逸見政孝(太郎、愛) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする